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10/14放送 名門に生まれるということ
「とんがって生きたいの。でもとんがって生きていくのを皆が止めるの。だから悩んでいる」
番組は海老蔵のこのセリフから始まりました。

今、何かとお騒がせな第11代市川海老蔵。
彼に密着したドキュメントで、幼少の頃の映像も織り込んだものとなっていました。
名門の重圧に押しつぶされそうになって自暴自棄になっていた思春期。
振り返ると人を傷つけていた、といいます。自分は凶器だったと。
そんな時映像で出会った祖父11代目団十郎の格好よさ。
こんな役者がいる歌舞伎なら、やってみる価値があると思ったそうです。
でも、それを目指してもすぐに身につくようなものではなく。苦労しています。

「歌舞伎の先輩達は一桁の歳の頃から歌舞伎を愛していらっしゃる。
自分は今歌舞伎をようやく愛せる。だから僕はだめです。
でもだからこそひっくり返せる力をもってる。。。と思いたい、無理だけど(笑)」
コレは海老蔵らしくて笑いました。
コンプレックスと、生意気ぶりと、天真爛漫さが凝縮されてましたからね。

番組では父と海老蔵の衝突シーンもありました。
新しいことにトライしたい海老蔵と、伝統をないがしろにしてはいけないという父。
確かに若いうちは新しいことにトライしたいと思います。そしてその気持ちはとても大事で。
彼なりに歌舞伎というものを追求しているんですよね。

ただ、伝統というものに何の意味もないわけではないんですよね。
例えば「何故先代はこういう型を作ったのか・・?」って考えることで見えてくるものって
きっとあるのではないかと。一見無意味に見える型でも何かね。
そういう作業を省略するな、と父は言っているんじゃないかな。と個人的には思います。
特にお父さんは早いうちに先代をなくして、相当苦労されてここまで来ていますから。


彼はいろいろ型破りなんだけど、若いうちはこのくらいでもアリかな〜と最近思います。
若いうちから小さくまとまっちゃうと、、、ね。。多いに苦悩してちょうだいっ(笑)
うーん、私も年をとったのかも。。もちろん自分のダンナがここまで奔放でも困りますが、
役者ですから、ええ。

最近、一人の人間がメディアにとりあげられて総攻撃を浴びせられたりしがちですけど、
なんかいつから皆そんなにヒステリックになっちゃったの?て時々心配になります。
海老蔵にはこれからも、そんな風潮を鼻で笑って欲しいものです。
posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦争に関するドキュメンタリー映画
今日も会社はお休み。こんな日は朝はフジテレビのとくダネ!を見ています。
その中の1コーナーで、今日は終戦記念日にちなんだ特集を組んでいました。
二人の日系アメリカ人が撮ったドキュメンタリー「ヒロシマナガサキ」「TOKKO-特攻-」。

前者に語り部として登場するある方に、実は学生時代、お会いしたことがありました。
ゼミ旅行で長崎へ行った際、被爆体験をお話していただいたのです。
足を組んでいるにも関わらず両足が床に付きそうに見えるほど、細い足でした。
本当は見せたくないであろう上半身の傷や、大きな声を出したくても出せない姿など、
15年ぶりに思い出してきました。

これまでに見たことのない映像や事実がこのドキュメンタリーにはあった、と番組でも
紹介していました。これは見ないといけない、そんな気がしています。

後者に出演した元特攻隊員と元アメリカ兵。
この元アメリカ兵は「カミカゼ隊員は死を望んでいる」とずっと思いこんできたそうです。
理解できない別の人種なんだと。
それがこのドキュメント撮影を通じて「彼らも生きたかった」ことを知ります。
番組では、この元アメリカ兵が来日して元特攻隊員に会い、言葉を交わすシーンを
放送していました。「来て本当によかった」と彼らは語っていました。

偶然にも夕方、別のチャンネルで、この元アメリカ兵が別の元特攻隊員に会っているところ
を放送していました。そこでも「どうしてあなたはカミカゼに志願したのですか?」と
質問していました。その質問に、その人はこう答えました。
「上官から死んでくれと言われました。お前は隊のリーダーだから(手本になれ)」

元アメリカ兵の方が驚愕したのは言うまでもありません。
皆、心に今も癒えない傷を追っていました。ある元特攻隊員の方の言葉。
「戦争はダメだよ。皆んな死んじゃうんだから。友達も先輩も皆んな」
posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
8/5放送 処刑台に散った父 時を越えて届いたBC級戦犯の124通の遺書(テレビ朝日)
8月に入り、戦争に関する番組をたくさん目にするようになってきました。
若かりし頃はこういう番組を見るのはツラかったのですが今では「知らないといけない」
「伝えないといけない」そんな気持ちになりつつあります。皆さんはどうでしょうか?
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戦時中、タイへ出征させられていた人々がいました。
タイで軍事物資を運ぶための鉄道を短期間でつくるよう大本営より命じられた彼ら。
労働力として捕虜をも投入して鉄道建設にあたるよう命をうけたそうですが、その劣悪な
労働環境に雨季が重なり様々な伝染病が発生。多くの捕虜が命を落としました。

ジュネーブ条約では「戦争行為に捕虜を投入してはならない」という定めがあるそうで、
後に鉄道建設にあたっていた日本人が戦犯として裁かれていくことになってしまいます。

上から命令を受けてやらざるを得なかったが、上は裁かれずに現場だけが裁かれる。
そしてそれを「仕方ない。これも運命」と受け止めたという彼ら。
中には捕虜に満足な食事を与えなかったという理由で死刑になった方もいました。
もちろん自らも満足な食事などとっておらず、汗水たらして鉄道建設にあたっていたのにです。
誰かを裁かないと、終われなかった、といいます。

死刑を宣告された人々は、刑務所においても壮絶な暴力をうけていたそうです。
そんな中で看守の目を盗んで彼らがしていたこと。それが遺書を書くことでした。

しかしその遺書も処刑後にみつかると燃やされていました。
それを目の当たりにした一人の日本人教誨師が、なんとしても遺書を家族に届けたいと
思い、秘密裏に遺書を運び出すようになります。もちろん、ものすごいリスクです。

遺書の中には両親にあてて「私は犯罪をおかすことなく裁かれます。犯罪を犯したわけ
ではないので安心してください」という趣旨のものがありました。自分の身の上を嘆く
のでなく、とにかく親が落胆しないよう事実を伝えたかった、そのことに驚嘆します。

他にも子供にあてて「人に指をさされるような人間になるな」と書かれたものがありました。
さぞ無念だっただろうと思います。
その子供は父の処刑後、戦犯の家族と揶揄されてきたそうです。だからその事実を隠して
必死に生きてきたのですが、定年をすぎ娘も嫁いだ今、処刑された父のことを少しでも
知りたいと、調べ歩いていたのでした。
誰を恨むとかでなく、ただ真実を知っておきたい、その一心で。

そして当時、父による尋問を受けたという被害者の一人が今もイギリスで存命している
ことを知り、手紙を書きます。「会いたい。父にかわってお詫び申し上げたい」と。
そしてまた被害者だった方も「ぜひ」と招き入れます。

戦後ずっと日本人を恨んできたと語るイギリス人の彼。
その妻によれば今でも夜中にうなされたりとトラウマがひどいのだそうです。
でもはるばるやってきた一人の日本人に対して向けるその眼差しに恨みはありません。
別れ際に手渡された英文のカードには
「過去を振り返っても過去は変わらない、未来に向かおう」との一言が書かれていました。

東京・池上本門寺にたつ彼らの碑には「シンガポール チャンギー刑務所殉難者慰霊碑」
とあります。かの教誨師がそのように命名したのです。彼らは犯罪人ではないのだから、と。
そして124通の遺書も同寺に保管されています。

この慰霊碑には日本人以外の方の名も刻まれています。
奇跡的に死刑から減刑され生還した韓国籍の方の言葉。
「日本人はお国のためにと思うことができた。では私達はいったい何のために」。

父からの遺書を読んでいた方が「亡くなった方々すべてに家族がいたんだろうなと思います」
とおっしゃっていました。
それは日本人だけでなく全ての人に向けられた言葉と理解しました。

田原総一朗さんが番組の最後の方でシンガポールでかつて起きた華僑の悲劇について触れ、
日本人である私達はアジア諸国に対して配慮が必要なのではないかとしめくくっていました。
やはりもっと知らなければいけないことがたくさんあるな。。。

番組の中で誰かが言っていました。「戦争とはこういうものなのだ」と。
posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ルワンダの現実
チャボさんがイベントで「ルワンダの映画を見て衝撃を受けた」というようなことを
話しているのを聴いて、過去に見た強烈なドキュメントを思い出しました。

NHKスペシャル『なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送〜』
2つの民族が隣近所仲良く暮らしていたのに、あるラジオの煽動により、互いに疑心暗鬼
になり、ついには殺し合うようになってしまった、その過程を描いたものでした。

これは正直、詳細はとても書けない。書いたところできちんと伝わらないと思うんです。
ただ、限られた小数の偏った思想が、ラジオを通して巧みに人心を操り、何十万もの命を
いとも簡単に奪ってしまったというその現実に、戦慄したことを強烈に覚えています。
これはまさに煽動でした。

メディアの報道や世論で、たまに「あれ?」と思うことがあるんですが、そういう直感を
やはり大切にしていかないといけないだろうな、と。
この作品は、いずれNHKアーカイブスでとりあげられることも、あるかもしれません。

ああ、ちょっと重い話しちゃったなぁ。
posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 13:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006/12/10放送 NHKスペシャル「ワーキングプア〜努力すれば抜け出せますか〜」
この春に放送されたNHKドラマの「ハゲタカ」をどっぷりハマって、見ていました。
(もしよろしければ、ドラマカテゴリでいくつか書いているので、見てやってくださいませ)

2月中旬から放送という中途半端な時期だったこともあって、一部では爆発的な人気を
獲得したものの、全体的には知名度は低いままでした。
でもとってもいいドラマだったから、再放送しないかなーと思っていろいろ調べていたら、
ハイビジョンで6月に再放送するらしい。それとギャラクシー賞とやらに入賞しているらしい
ことも判明。(大賞は5末に発表)

そのギャラクシー賞のラインナップを見ていて、ふとある番組に目がとまりました。
NHKスペシャル「ワーキングプア」。
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posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
THE BEST OF THE BLUES BROTHERS
「ブルースブラザーズ」ってちょっと前まで単なるコメディ映画だと思ってました。
だから映画以外に「ブルースブラザーズバンド」として活動しているとか、そのクオリティが
どうだとか、全く気にしたこともありませんでした。
そもそもこの映画すら、私はこれまで一度も見たことがなかったんです。

でもここ最近、また音楽を聞くようになり、ここに誘引されました。
まずは先日のライブ。で、ライブを見たその日に映画「ブルースブラザーズ」をレンタル。
とても20年以上前とは思えない古さを感じさせないクールなセンスの映画でした。
でもこの時点でもジャンルとしてはコメディ映画な感じがしていました。

しかし先日、私の音楽師匠があるDVDを貸してくれました。
タイトルは「THE BEST OF THE BLUES BROTHERS」
ブルース・ブラザーズ
ビデオメーカー
¥ 4,688
(2006-11-25)
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posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 01:28 | comments(4) | trackbacks(0) |
2007/3/9放送「中村勘三郎襲名公演」(フジテレビ) その2
もう一つ、このドキュメントでは、勘太郎(勘三郎の長男)の怪我にもふれられている。
襲名公演の2年目も中盤に差し掛かった頃、勘太郎がひざのじん帯を損傷。
歌舞伎は重い衣裳を着て激しい踊りを披露するし、正座ができないのは致命傷だという。
やむを得ず治療に専念、父の襲名公演に一刻も早く戻りたい、と必死のリハビリ。
しかし思うように回復しないヒザ。気持ちは焦る。
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posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 19:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007/3/9放送「中村勘三郎襲名公演」(フジテレビ) その1
2005年3月に「十八代目中村勘三郎」を襲名し、その後の2年にわたる襲名公演を追った
密着ドキュメント。改めて梨園は大きな家族だと実感しました。
*役者名は敬省略とさせていただきます。

先代(十七代勘三郎)に弟子入りした中村源左衛門。
歌舞伎の世界で主役をはれるのは、歌舞伎役者の家に生まれた者にほぼ限られている。
そんな中でも門弟として芝居を頑張り続けて、中村屋に尽くしてきた方であり、
当世勘三郎にとっても、子供の頃から常に傍にいてくれた家族同然の方でもあった。

当世勘三郎襲名と時期を同じくして幹部に昇進され、中村源左衛門を襲名。
この2年にわたる襲名公演を勘三郎と共にまわることになっていたという。
その2年目、残すところあと少しとなったとき、源左衛門が末期ガンと判明。
最後の公演地、京都南座には必ず舞台に、と約束して闘病生活に入るものの願いは叶わず、
10/20に天寿をまっとうされた。
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posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 19:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007/2/3放送 「母子病棟〜壮絶なる愛と別れの記録〜」(テレビ朝日系列)
病を抱えた子とその親、3つの家族を追ったドキュメント。
うち2組は治療法の確立されていない病気で現在も闘病中で、
1組は血液のガンで天国へ旅立ってしまうまでの1年半を追ったものでした。

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posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 18:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006/11/3放送「泣きながら生きて」(フジテレビ系列)
2006年で最も感動したドキュメンタリーを紹介させてください。
いや、それ以前を遡ってもなかなかこんな作品に出会えないと思います。
だから長くなりますが書かせてください!!

『泣きながら生きて』2006年11月3日 フジテレビ放送
日本に在住した中国人の丁さんを10年にもわたって追ったドキュメント。
文革の時代は政府の「貧しい農民に学べ」との政策により都市の若者が貧しい農村に送られ、
そして何年か後に彼らは都市に戻ってくるのですが、勉強もできなかった彼らはお金も技術も
なく年もとっており、最下層の生活から抜けだせない状況に陥っていたそうです。
その中の一人、丁さんは友人から「日本は素晴らしい」と聞き「日本で勉強したい」と
親戚から借金をして日本行きを決意します。妻と娘は後に日本へ呼び寄せるつもりで。
しかし到着してみたらその日本語学校は過疎地にあり、働き口がありませんでした。
借金を返すためにも、"働きながら勉強する"しかなかった丁さんはその地を抜け出して
東京で働き始めます。そして娘を外国へ留学させたいと思うようになるのです。
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posted by: かーみっと | ドキュメンタリー | 10:01 | comments(0) | trackbacks(0) |